私にとって会社環境で凄い人達だと思えるのは
新しくビジネスを始めて、きちんと商いを継続している人達。
規模は無関係。
この場合の社長は凄いな〜って思う。
反対に、雇われ社長というだけでは何の意味もない。
大企業の社長、経営陣と言われようとも、だから何?
正直平社員と違って偉いと言われる所以が全くわからない。
雇われ社長だと、形態は社員だよね?
給料(salary)が多いだけで・・・って事は
サラリーマンだよね?
投資家というのは
増やしたい資産はあるが、自らの能力では起業に向かないので能力のある人にお金を融資し代わりに増やしてもらう人の事を指す。
資産は無いが能力がある場合は融資を受けて起業する。
これが起業家と言われる人々。
起業家の中には、資産のみならず、能力もある素晴らしい人がいる。
このような人は投資などせずに起業する方が楽しいと思ったりする。
そして、資産を運用できる。
以上全員自分の資産や信頼をかけて、尚且つリスクを乗り越えて行ける度胸がある。
それ以外のカテゴリー中から雇われ社長は選ばれる。
増やしたい資産があっても自ら投資家にはなれなかった場合か
誰かに融資されるほどの能力もなかった場合が多い。
ようするに会社人の延長って事です。
平には無い責任、会社人を率いて行く、
というのが仕事内容にあるだけのサラリーマンです。
投資家や起業家と大きく異なる点は
自分のお金を扱っていないということ。
ひとのお金では何事も真剣さが欠けるは世の常。
起業家も人様のお金を使うので、
無能な起業家は続かない。
だから商いを続けていく、というのが条件です。
幼稚園の先生は幼稚園児には出来ません。
先生になる第一条件は
大人になるという事です。。
大人になるという事はただ年を重ねればいいわけです。
その中で、幼稚園の先生になる資格を取らなくてはいけませんが
やる気と努力で出来ます。
その先に先生としての職を得るのは凄さでもなんでもなく、
空きがあったら出来るという幸運に恵まれれば良いのです。
その人たちの中に良い先生や悪い先生がいるのです。
雇われ社長も一緒です。
年を重ね、偶然空きに出会えるという幸運にさえ恵まれれば良いのです。
同期の有能な人は企業してます。
年を重ねる間に、社会人としての責任を果たし、
資格を取る事ぐらいはしたかもしれませんが、
起業家にも投資家にもなれなかった人が
雇われ社長になります。
その中に素晴らしい雇われ社長もいるかもしれない。
雇われ社長達は投資家にも起業家にもなれなかった人々ですから
会社のトップには基本向かない人たちという事になります。
だからこそ、出来るなどと勘違いせず、
他の社員と共に一丸となって進むのが出来うる最善の行為。
グループでなら見えぬ道も見えるかもしれない。
能力はあるが度胸がないだけで企業をしなかった社員もいるかもしれない。
会社に無駄な人はいないという前提であるべきです。
仕事内容は部署によって違うけれど、
会社を運営して行く上では全てが同様に大切でどれか一つを選べないのと同じで、
経営陣と言うのもそれだけで偉いものでは決して無いのです。
仕事内容が違うだけです。
しかし、
彼らは人事権を持っているので、
下から見ると恐ろしい存在になってしまう。
偉大で尊敬出来る訳じゃないけど
恐れなければいけない。
恐怖政治のようになってしまう。
職を替える事が非常に難しい社会では特にこの傾向が顕著になる。
そして勘違い雇われ社長が生まれ、次々にダメな会社が現れる。
世界的な状況不安と不況に見舞われる可能性が高いこの時期、
また、たとえ大不況はなくても大きな波にのっかる小舟のような状況が続く中で、
遅かれ早かれ、ダメな経営陣の会社はダメになる。
人事決定の恐怖でちじこまっていても、
良い事などなにも無い。
解雇が先か、会社が傾くのが先か、数年の違いがあるかどうか・・・
有限能力の会社人に出来る防衛は
会社の規模やイメージに惑わされす、
凄い社長がいる会社を見つけ出せる嗅覚を発達させる事。
節約を心がける。
自分と家族が生きて行くのに必要な額は本当は余り大きくはないのだから。
そして負債を作らない事。
負債は人を必要以上に弱くさせる。
xxx
0 件のコメント:
コメントを投稿