それを実行する人が減ってきているように感じる。
メディアでももちろん、どうやったらお金が貯められるのか?とうタイトルがらみでチラホラ見かけますが、その程度で、
節約、倹約の美徳は学校でさえ教えないようになってきている。
それはもちろん、企業や国の、国民にどうやって消費させるかのみにこだわっている政策に起因しているはずなのですが、それにしても世の中から節約の願念が失くなりつつあるのには驚きます。
収入が物価に対して伸び悩んでいる現代で、
国の社会保障が薄くなってきている明るくない未来で、
節約をやめてしまうという行為への恐怖は
教わらないとわからないのでしょうか?
私の親友(日本人)にとても興味深い人がいます。
彼女の家庭内訳はアメリカ人の旦那さんと8歳と5歳の息子達。
San Jose付近の町に日本円で6500万円ほどのtown houseを8年前に購入。
旦那さんはfull timeで働き1000万円ほど稼ぎ、奥さんはちょっとした専門職で週4日働く。
しかし、お金が足りないと言う。
固定資産税を払う現金がなくてクレジットカードで払って分割払いにした事もある。
(年間で80万円ぐらいの固定資産税。2回で払うので、一回は40万円程度)
月々の支払いは20万円ちょい。
この付近のアパートで3bedroomが30万以上を考えれば決して無理な額ではない、
はずなのですが、なんで、お金が足りなくなるの?
車も新しめの中古を買い、壊れるまで乗るし、装飾品など高額な買い物などもしない。
なのに貯金が全く出来ないという。
その理由は日々の生活にあるように私は思う。
全く節約、倹約の概念がないのです。
引っ越してまず初めにした事は、どこで見つけるのかわからないような、規格外サイズの湯船を設置。
今では息子達が毎晩たっぷりお湯を張ってお風呂に入る。
湯水のようにというのは水の豊富な国で使える例えで、
水不足のカリフォルニアではそうは言えません。
水不足の中で水を全く節約しない道徳的な問題は置いておいても、
水道代はかかってしまいます。
電気は基本的につけっぱなしです。
留守であろうと睡眠中であろうとそこらじゅうの電気がつけっぱなし。
最近の電球はそんなに電気を使用しないですがそれでもつけまくってつけっぱなしでは
やはりお金はかかります。
次は食べ物。
食べ物飲み物は必要以上にserveされます。
飲みきれない食べきれないものは当たり前ですが、破棄されます。
毎朝、牛乳が半分ぐらいグラスに注がれたまま残っています。
シリアルにも必要以上に入れます。
残ってます。
organic milkでこれをやると結構な額になります。
食事も食べて欲しい量をお皿によそるのですが全ては食べません。
なので、それも破棄です。
外食も多い。
子供達にはお弁当を持たせますが、
大人はお弁当なしで会社に行きます。
毎日これをすると結構な額の出費になります。
奥さんは週一のお休みの日には必ずcoffee shopで一杯しますが、
その時に子供達にもチョコレートミルクやお菓子が与えられます。
コーヒーが飲みたい訳ではなく、空いている時間をその空間で過ごす事が大切なようです。
夕食も週の3日は外食です。
奥さんは、眉毛カットに行きます。
奥さんの洋服は全てクリーニングに出します。
家で洗うのはストッキングと下着だけです。
子供の洋服は、クリーニング屋でお直しして着せます。
体操着もです。
長男には家庭教師、スイミング、日本語学校が週一。
洗濯たたみとお掃除のおばちゃんが週一。
洗面所には使い捨ての紙コップ。
アメリカに来て驚いた商品。
びっくりしすぎて未だに消化できない。
consumerismの最たるもの・・・
子供達へのご褒美として与えるおもちゃの量。
毎週毎週何かしらおもちゃが増えている。
ゴジラに26ドル。ウルトラマンに22ドル。
洗車は洗車サービスでする。
家の少々の故障でも全てハンディマンにお願いする。
(そうじゃない場合は壊れたまま)
車のライトの交換。
暖房の温度設定が高め。
猫の額程度の裏庭に月一の庭師。
確かに、可能であるならば人は豊かに生活すべきで彼らの生活は決して悪くない。
けれど、何かあった時の生活が全く保証されていない生活は豊かと言えるのだろうか?
旦那さんは401Kにきちんと入れているが、
貯金は全くない。
お金に余裕が出来たら旦那さんは生命保険に入りたいらしい。
会社のとは別に。
奥さんもそれに賛成。
え?
保険の話 by 東洋経済online
家族がいるのであれば生命保険は確かに大切だ。
が、養い手が亡くなれば、奥さんは子供を連れて実家がある大好きな日本に帰れば良いので、さほど困らない。
問題なのは働き手が亡くなる以外の何かがあった時。
これで、貯蓄がない場合は悲劇。
そんなに心配ならmortgageに保険をかけた方が安心かも。
しかし、掛け金は高いし、いつまで続くか不明だが家の価格が高騰している中の保険だから保険の払い戻し能力に不安が残る。
アメリカの都市部では不動産を持っているなら日本と違って急に困る事はない。
通常は買った額以上ですぐ売れてしまうから、莫大なローンに苦しめられる事はない。
けれど
一番簡単で自分で出来るのは少しでも無駄を無くし、
貯金を始める事。
ひと月で5千円でも一年で6万円。
1万円だと12万円。
1万円使うのは簡単。
でも、1万円稼ぐのは大変。
1万円の貯金はその中間。
それに、もっと重要な心配事は、
節約の美学を教わらない子供達の行く末。
宿題の数学やspellingに目くじら立てて、
家庭教師頼んで、
ようやっと終わらせた学校の勉強では
将来生活にどのように富をもたらすかは
不明値だし、無意味だという事も大いにあり得るが、
生活の中で両親から学んだ節約術は必ず将来子供達の役に立つ。
とても直接的に。
お母さん(私の友人)は良いですよ。
お金なくたってのほほ〜ん朗らかに楽しそうに生きています。
それは素晴らしい事。
でも、彼女には実家というとんでもないお財布が付いている。
今は世話になっていないし、あてにもしていないが、
何かあったらどうにもならない彼女の家庭を見放したりしない。
が、彼女の息子たちには
以下の理由でギリギリのお財布しかつかない。
祖父母からの遺産相続が成人になった孫たちの生活の保険になるほどではない。
それにまだ、祖父母自身が老後を生き抜かねばならない。
そのあとに一体どれだけのものが次の世代の保険になりうるのか?
こんな恐ろしい状況下で
浪費グセだけ付いてしまった子供達はどこに救いを求めるのだろう?
肝心なのは、節約はお金を貯めるためにやるべき事ではないということなのです。
普通に生活していているのにもどんどんお金が余ってしまった結果、
貯蓄になっているというのが正しい。
節約には苦労は伴わないのです。
お金持ちはお金持ちのような生活をしない、と
いわれる所以はこのあたりにあるのではないでしょうか?
節約は生き方の根源にまで届く根の深い行為だと思う。
お金を貯めるために節約すると考えさせるから
節約の文化は消えて行く。
節約をお金の価値と結びつけて、お金を使わない生活で、不幸な事だと思いこむから、
よくない概念として受け入れられなくなってしまった。
質素な生活にはお金では買えない生き物としての喜びや美しさがより多く存在できる。
富があるというたったそれだけで得る事が出来る心のゆとり。
この二つを手に出来れば人はそれなりに幸せでいられるのです。
節約から得た心の豊かさは更に節約へ貢献し、そして富(貯蓄額)をもたらす。
この場合も、富のために節約するのではなく、気が付いたら富、程度で、
心理的に豊かになれるというのが重要なのです。
この二つを子供達に伝えてゆけるのは子供の将来を思う親たちだと思うのです。
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